私は結婚2年目の主婦、美香。 夫の健二と結婚し彼の家へと嫁いだ。 夫の健二との関係は良好なのだが、1つだけ問題点があった。 「ちょっとお義母さん!何してるんですか!」 「何って?いらないものを捨てているだけよ?」 「それは私の服です!なんで捨てるんですか!!」 「あら〜ごめんなさい(笑)放り出したままだったから捨てるものだと思っちゃたわ〜」 「ちゃんとたたんで置いてあるのに何で捨てるものだと思ったんですか!!」 「もう!謝ったじゃない!ただの勘違いよ!しつこいわね本当に!」 「はぁ...」 そう、それがこの義母だ。 健二の家に嫁いで以降、義母は度々私に嫌がらせをしてくる。 嫌がらせは様々だ。 私の私物を棄てようとするのはいつものことで、本当に捨てられたものもある。 服や小物といったものは、百歩譲ってまだ耐えられる。 しかし、両親や祖父母にもらった思い出の物まで捨てられた時は、本当にショックだった。 他にも、勝手に買ってきた食べ物を腐らせた挙句 「これあなたのものでしょう?早く食べなさいよ。」 と言ってきたりする。 本当に怒りを通り越してあきれるばかりだった。 さらには、子供に関する考え方も大きく食い違っていた。 私たち夫婦は、今はまだ忙しいので、落ち着いてから子供をつくると決めていた。 しかし、義母はそれが気に食わないのか、いつも 「嫁いできてもう2年も経つのに、まだ子供ができないわけ??」 「昔は3年子供無しは去れって言われていたのよ。」 といってくる。 こちらが何度も 「今は忙しいので、子供は落ち着いてからと決めています!」 といっても、数日後には忘れたかのように、同じことを言ってくる。 私と健二は、お互いに今の状況について話し合い、双方納得した上で、私は専業主婦になったつもりだった。 落ち着いたころには、子供も生まれて、幸せな家庭になると、本気でそう思っていた。 しかし、今、たった一つの問題点である義母のせいで、その願望ははかなくも崩れ去っていた。 義母による、私物捨て・食材腐敗・孫産め産め攻撃のせいで、心身ともに疲れ切っていた。 この状況を打開する策は何かないものかと考えていた。 しかし、それはそう簡単なものではなかった。 まず、夫の健二に気づいてもらえないということだ。 現在の健二の仕事がただでさえ激務なうえに、繁忙期に入っている。 そのせいで、平日は家に帰ってきて寝るだけという生活であった。 休日出勤も頻繁にあり、長期ではないが、出張も頻繁にあった。 そのため、義母の嫌がらせについて話そうとしても、話す暇がなかった。 それがさらに私のストレスを増加させるものとなっていた。 2つ目は、義母が近所の方々に私の悪口や嘘を言っていることであった。 例えば、私(義母)が家事をしようとすると大声を出して止めてきて、無能扱いする。 孫を抱かせてくれない。 飯がまずい。 などで、最後にはこの生活に喜びや楽しみがない私カワイソウ(泣)で終わるのが、義母の常とう手段であった。 近所の方々も半信半疑の状態ではあったものの、私への疑念があるのは、あいさつした時などの態度で明らかであった。 このままでは、家庭の内外共に私の居場所がなくなってしまうという焦りがあった。 このようなストレスや疲労感で、体重が15キロ落ちた。 幸せな家庭を築きたかっただけなのに。 どうして私がこんな目に合わなければならないのだろうか。 こんなことをずっと考えるようになっていった。 しかし、ある時、子供についてふと考えたことがあった。 子供が生まれてもなお、あの義母は私への嫌がらせを続けるだろう。 もしそれが子供にまで及んだら? それにあの考え方の古い義母のことだ。 もし生まれた子が女の子だったら? 女なんて産みやがってなどと言って、子供にも私と同じような嫌がらせをし始めたら? 想像するだけで怒りがわきあがってくる。 私だけならまだ我慢できる。 だが、子供にまで攻撃するのは耐えられない。 私は決心した。 義母と戦うことを。 平和な家庭を取り戻すことを。 そして、家庭からアイツの場所を奪い去ってやるということを。 そう考え始めると、不思議と頭が良く回転するようになり、対義母戦略の糸口が少しずつ見えてきた。 義母の嫌がらせは相変わらずであったが。 私はまず、外堀から埋めることを考えた。 つまり、義母が私の悪口や嘘を言っている近所の方々に対してだ。 近所の方々からの信用を回復し、外堀を埋める。 そこから開始した。 義母が外出している間、かつ近所の方々が外で世間話をするタイミングを見計らって、会話に入るようにした。 最初は戸惑った雰囲気や表情を見せられた。 しかし、それ以外でも朝の挨拶や地域の行事にも、積極的にかかわるようになった。 その結果、向こうから私に話しかけてくれるようになった。 それまでは、目をそらされることが多かったのにもかかわらずだ。 そこでようやく、義母が言っていたことを訂正することができるようになった。 もちろん、頭ごなしに否定しても、誤解を解くことはできないとわかっていた。 そのため、我ながらべたな演技ではあるが、少し悲劇のヒロイン風に、近所の方々に言ってみた。 まず、私が義母の家事を邪魔することに対しては、 「義母が家事ですか...私の私物を捨てるのが家事というのですね...何かの病気になってしまったのでしょうか...」 と言ってみた。 次に、孫を抱かせてくれないということに関しては、 「今夫の仕事が激務なので、落ち着いたらと決めていて何度も言っていたのに...」 「どうして理解してくれないんでしょうか...」 「そもそも自分の子の夫婦生活に口をはさんでくること自体どうなんでしょうか...」 と至極当然のことを言った。 そして、私が食材を腐らせるということに関しては、このようにした。 食材を大事にしているアピールとして、調理して余ったという体で、近所の方々に手作りお菓子を配った。 腕によりをかけて配ったため、もちろん評価は上々だった。 近所の方々の中には、お子さんがいる家庭もあった。 お子さんたちにも高評価で、自然と私が食材を粗末にする人間という認識は、なくなっていった。 そうすれば、当然、義母が言っていることが嘘であると、みんなが認識し始めた。 私はただ、当然のことを、普通にやっているだけなのだが。 そして、義母は近所の方々に私の嘘話を話しても、 「あなたの所のお嫁さんとても料理上手で、食材を粗末にするような感じじゃないわよ」 「息子夫婦の夫婦生活に口出しするのってどうなの?」 「どうやったらお嫁さんの私物を間違って捨てられるの?しかも何回も?」 という感じで、段々と相手にされなくなってきた。 これで私は、外堀を埋められたと一安心した。 しかし、やはりこれが義母をヒートアップさせる原因となってしまった。 なぜなら、うっぷんを外に出すことができなくなってしまった義母は、私への嫌がらせを激化させ始めたからだ。 これまでは家庭内で嫌がらせして、外で私の評価を落とすとともに、自分を被害者に仕立て上げていた。 そのおかげで自分が注目されて、いい気分になっていたようだった。 いい歳して何やってんだか。 それができなくなった上に、私に恥をかかされたと思ったらしい。 そもそも義母が嘘に?を塗りたくって話した結果なのであるから、そもそも私のせいではない。 しかし当の本人は、自分のせいだと考えるような、真っ当な人間ではない。 真っ当な人間であったなら、嫌がらせはしない。 性根が腐っているから、簡単に人に嫌がらせができるのだ。 性根が腐った人間が、さらに性根を腐らせた結果、嫌がらせの種類が増えた。 私物だけではなく、私が作った料理さえも、 「不味い、辛い、苦い、薄い、食べれたもんじゃない。」 と言いながら、堂々と目の前で捨てられた。 もちろん、私物も隙あらば勝手に捨てるようになった。 そして、ことあるごとに、私だけでなく私の両親の悪口も言うようになった。 私のミスとも言えないミスを見つけては、鬼の首を取ったように、 「ここができてない!不出来な嫁ね!」 「どんな教育をされてきたのかしら!」 「そもそもご両親がちゃんと教育を受けてきたのかしら」 などと、かなり頭にくることを言ってくるようになった。 当然私も、 「両親まで悪く言うのはやめてください!」 「失礼じゃないですか!」 などと反論するのだが、 「あら〜ごめんなさいね〜でもあまりに不出来だから、ついつい疑っちゃうのよ〜」 と、のらりくらりとヘラヘラしていて、話にならない。 数日後には、忘れたかのように(絶対にワザとだが)同じことを言ってきた。 他にも、夫には元カノがいたそうなのだが、 「○○ちゃんは本当に気が利いて素直な子で〜それに比べてあなたは〜」 という感じで、嫌味を言ってきた。 常に上から目線で、嫁は夫の母に従うべし、というスタンスだった。 そんな人間と四六時中一緒にいるのだから、ストレスは溜まる一方で、じんましんが出るようになった。 そんなある日、義母が外出中、一人の来客があった。 義母が帰ってくるにはまだ早い。 誰だろうと応対すると、非常に不機嫌そうな顔をした初老の女性が立っていた。 「どちら様でしょうか?」 と私が訪ねると、 「私は池田という者ですが、操さん(義母の名前)いらっしゃいますか?」 と、とてもぶっきらぼうに言った。 「あいにく義母は外出中ですが、お伝えしたいことがございましたら、お伝えいたします。」 と言うと、 「わかりました。」 「ではこのようにお伝えください。」 「あなたが以前していたことで私までもが被害を被っているのよ!!」 「責任取ってちょうだい!!!」 他にも何か言っていたようだったけど、興奮しすぎて、まとめるとこんな感じのことだった。 もちろん何のことだか分らなかったが、直感的にこれは深堀りした方がよさそうと思った。 そこで、うまいこと言って家に招き入れることにした。 「そうですか...大変だったんですね。」 「義母が帰ってくるまでまだかなり時間があるので、私で良ければお聞きいたしましょうか?」 という感じで、家に招き入れた。 聞いてみると、どうやら昔の義母の友人とのことらしかった。 「何があったのかお話願いますでしょうか...私はまだ義母との付き合いは浅いので...」 というと、友人はよほど誰かに聞いて欲しかったのか、ぺらぺらと話し始めた。 聞いてみると、義母のとんでもない過去が明らかとなった。 要約すると、義母は10年くらい前まで、不倫・ギャンブル三昧の生活をひそかに送っていたそうだ。 10年前と言えば、義父が入院したけど、すぐに病状が悪化したころだと聞いたことがあった。 そんな時に、アイツは義父や夫を裏切ってたのか。 でも、なぜ今頃になって、義母の友人が訪ねてきたのか? もう少し味方になったつもりで、聞いてみた。 「そうなんですか...でもどうして10年たった今、お越しになったんですか?」 「アイツ(義母)が、いつも通ってる手芸教室や料理教室で、不倫のことやギャンブルのことを喋ったのよ!」 「しかも、自分は関係してないですって顔して!」 「自分もやっていたことを、すべて私がやってたことにして、笑い話として言ってたのよ!」 「それが偶然私の夫の知り合いが聞いて、そこから夫にバレたのよ!!」 「そしたら、離婚と慰謝料請求されて、この歳で朝から晩までバイト生活よ!」 「ほんと最悪よ!」 最悪なのはお前らだろう...と言いそうになるのをこらえて、私はさらに続けた。 「お気持ちはお察しいたします。」 「大変でしたね、お辛いことだったと思います。」 「私も義母には思うことがありますので、何か証明できるものはございますか?」 「ええ、あるわ、二人でギャンブルして、どれだけ負けたか勝ったかを写メで送り合ったこともあるわ。」 「私が撮ったものだけど、行為中の写真もある。」 正直見たくもなかったが、口外しないことを約束し、受け取ることにした。 実際に、見てみるととてもおぞましいものであった。 明らかに、自分の家(寝室や子供部屋)でヤッているものや、野外の公園でしているものもあった。 よく自分の夫が大変な時に、こんな裏切りができるのだろうか。 10年前と言えば、健二はまだ10代だったはず。 ギャンブルに関しても、何百万と損を出していて、借金までしていた。 専業主婦だったアイツに、どうやって返せたのだろうか? 友人によると、昏睡状態の義父を言いくるめて、義父の退職金などで相殺したそう。 気持ち悪い。 こんなのと一緒に住んでいきたくない。 こんな奴に自分の子を触らせたくない。 改めて私は義母を追い出そうと決めた。 奇しくも、今月は義父の命日の日がある。 当然、義父が生きていたころの話が出てくる。 いつも義母は義父が亡くなってから、どれほど大変だったかを、自分たちに聞かせていた。 自分を悲劇の主人公としてアピールしていた。 でも、今回はそうはいかない。 義父には悪いが、今回義父の命日を利用するのは私だ。 さらに、私にとって、さらなる好機が訪れた。 夫の健二の仕事の繁忙期が終わったことだ。 さらには定例の異動で、激務ではない部署に異動になった。 こうして、夫は激務からようやく解放されたのであった。 このおかげで、夫が家にいる時間が格段に増加した。 夫の会社グッジョブ! そして迎えた義父の命日、案の定義母は、私はあのころ大変だったのよ〜と自分語りを始めた。 そこで、私は聞いてみた。 「お義母さん、それはさぞ大変だったと思います。」 「私は、お義父さんとお会いしたことがないのでわかりませんが、いくつか聞きたいことがあります。」 「何?何を聞きたいの?」 自分の話を邪魔されたので、やや不機嫌に返してきた。 「私も今後、お義母さんがもしもの時の場合、手続きやお世話をしないといけなくなります。」 「そこで、お義父さんの入院中、お義母さんがどのような行動をしていたのか教えていただきたいのです。」 もちろん、義母の世話などするつもりは全くない。 不倫やギャンブルをせず、本当に義父の世話を積極的にしていたのであれば、教えられるはずだ。 案の定、義母はしどろもどろになりながら、 「確かに看病はしたけど、あの頃は健二も受験なんかで大変だったから、家にいなければならなかったのよ!」 「だから、具体的には答えられないわ!」 「それに、あなたのお世話にはなるつもりはないわよ!」 しかし、ここで健二が首をかしげる。 「あれ、母さん、あの頃よく外出してたよな??」 「あんたは受験で忙しいから、私がずっと家にいる必要ない、お父さんの看病に行ってくるって。」 「俺、子供ながらに、ずっと家に誰もいなくて寂しかったの覚えてるんだけど。」 「何言ってるの!あなたの勘違いでしょ!私はちゃんと看病してたわよ!!」 ここで私は、少しだけ核心を突いてやった。 「そういえば、入院費用や生活費はどうされていたんですか?」 「お義母さん専業主婦ですし、お義父さんが働けなくなったら困ったと思うんですが。」 「そんなの、お父さんの貯金でっ!」 「父さんの給料少なくって、生活費とか払ったらカツカツで貯金なんてあんまりなかっただろ?」 「入院する前も、ずっと金がない金がないって言ってたじゃないか。」 健二はどんどん思い出してきたようだった。 「ギャンブルですか?」 ついに私は核心に触れた。 健二「ギャンブル?」 「なに失礼なこと言ってるの!そんなことするわけないでしょう!」 と、義母は激怒するが、もう私は止まらない。 「じゃあ、この写真は何ですか?」 写真の内容を見た義母が青ざめる。 そりゃそうだよね。 だって自分が勝手に借りた、何百万もの金融機関の借用書だから。 「なんだこれ!?」 夫が驚愕する。 「ち、ちがっ、こ、これはお義父さんの入院費用がかさんで仕方なく借りたのよ!」 「お義父さん、入院してすぐに容体急変して亡くなったので、こんなにかからないですよね?」 「母さん!!何に使ったんだよ!!!」 夫がついにキレた。 「いや、だから、生活費とか」 もはや、言い訳すら思い浮かばない哀れな老婆に、私はとどめを刺してやることにした。 「あと、お義母さん、不倫してましたよね。」 空気が凍った。 「なっ!してないわよ!そんなこと!!」 「じゃあ、この写真は何ですか?」 それは、義母と男が、裸で映っている写真であった。 「何だぁ!!これはぁ!!」 夫の怒号が飛ぶ。 義母はもう顔面蒼白であった。 そこから何時間も問い詰め、ようやく義母は白状した。 要約すると、ホストにはまって借金したということだった。 当時、義父が入院する少し前、義母と友人は軽い気持ちで、そういう場所に行ったとのこと。 しかし、今まで男に相手にされなかった2人は、自分たちより若い男の甘い言葉に簡単にのせられたらしい。 その結果、まんまとはまってしまったそう。 そんな2人が大金をはたいて、ホストに貢ぎ、あろうことか体の関係を持つようになるのには、そう時間はかからなかったらしい。 あまりにホストにのめりこみすぎて、自分の子供である健二の状況についても、興味がなくなっていったらしい。 そして借金が膨れ上がっていき、どうしようもなくなって義父を丸め込み、退職金などの遺産で相殺させたという。 不倫に関しても、罪悪感があったからこそ燃え上がってしまったという。 まっっったく理解できないし、汚らわしい。 当然夫も激怒して、 「もうあんたを母親として見られない。」 「あんたから生まれてきたことを本当に後悔する。」 「出て行ってくれ。」 これを言われた時の義母の顔は、恐らく一生忘れられないだろうな 夫には少し悪いけど本当に、スカッとしたよ。 こうして、義母という名の他人は、遠くの親せきの家へ強制的に、預けられることとなった。 その親戚は、義母が絶対に頭が上がらない人で、今回の事情も話してある。 当然向こうも激怒していて、24時間監視して、性根を叩き直すと言っていた。 そして、我が家にやっと平穏がやってきた。 まず、夫が謝ってきた。 「ごめん、激務だったとはいえ、全然気づけなかった。」 「いいよ、仕方ないし、私ももっと早く言ってたらよかった。」 「これからは、なんでも早く話し合おうね。」 「うん、もちろん、これからも美香だけを大事にするよ。」 「ふふふ、ありがとう。」 やっと平和が戻ってきた我が家で、私はこれから訪れるであろう幸せを想像し、安堵するのであった。